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十字架の見えるテラスから(53)

 急に暑い日々になりました。体が気候についていけないと感じることが多くなりました。一日元気に過ごせるだろうかと不安になることも多い日々です。どうしたら私たちは元気になることができるのでしょうか。

 先日、日曜学校で子ども達に聖書の話をしました。話の準備をしながら、愛すること、愛されることについて考えさせられました。私たちは人から愛されていること、愛されていないことをとても敏感に感じます。

 人のしぐさや言葉、メールやラインでもそれを感じます。愛されていることを感じることができれば嬉しいですし、愛されていないことを感じればとても悲しくなります。一度愛されていると感じても、愛されていないのではないかと感じることがあるととても不安になります。

 では、神様の愛についてはどうでしょうか。神様から愛されていると聖書で繰り返し言われていても、それをしっかりと感じることはできているでしょうか。人間の愛についてはとても敏感なのに、神様の愛についてはとても鈍感な自分に気がつかされました。私たちはなぜ神様の愛に対して鈍感になってしまったのでしょうか。それは神様との距離を感じているからです。

 エデンの園で暮らしていたアダムとエバは、神様と親しく交わりながら生きていました。そこに蛇の誘惑によって罪が入り込んだとき、人間は神様から隠れるものとなり、そこから神様との距離をどんどん広げる者となってしまいました。

 いつの間にか人間との関係にはとても敏感になり、神様との関係に鈍感になりました。人間は不安定な存在です。愛することもできれば、愛することができない時もあります。人間の愛に敏感すぎてしまうと誰もが不安定になってしまいます。

 そのようなときに変わることのない神様の愛をしっかりと感じるセンサーを持たなければと思います。愛を感じるためには、その方との時間を大切に持つ必要があります。残念ながら神様を見ることができません。

 私たちにできるのは神様のお言葉に触れて、思いに触れることだけです。クリスチャンたちは、お言葉に触れて、思いに触れることで励まされ、強められてきました。私たちも辛い時、苦しい時に神様のお言葉に触れ、思いに触れて愛されていることをしっかりと感じていきたいと思います。