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十字架の見えるテラスから(79)

 「silent」というドラマがとても人気があると息子に聞いて、時々見ていました。先日、録画しておいた最終回を見ました。高校を卒業して耳が聞こえなくなってしまった男性と高校時代に付き合っていた女性が再会し、再び思いを寄せ合います。しかし、耳が聞こえないことでお互いの思いを伝え合うことができないもどかしさや、周りの人との関係に二人は悩みます。最後に二人は、これからも一緒にいることを選びます。その時に、耳の聞こえなくなった男性が、もう彼女の声さえ思い出すことができないけれど、彼女の言葉を見ることができて嬉しいと言った場面がありました。

 このドラマを見ながら、「言葉」について考えさせられました。言葉を一番使うのは口に出すときだと思っていました。口に出された言葉を聞くことで人間は通うじあえると思っていました。しかし、手話は、目に見える言葉なのだと気が付かされました。このドラマを見て、手話の動きはとても美しいと思った方も多いのではないでしょうか。言葉は、様々な形で伝え合うことができます。大切なのは、そこにある相手への思いなのだと気が付かされました。

 神様のお言葉も、私たちは直接聞くことはできません。イエス様を通して与えられたお言葉も、イエス様から直接お聞きすることはできません。でも与えられた言葉をとても大切に思っています。それは神様の私たちへの深い思いがお言葉の中にあるからです。さらに、お言葉を伝えてきた人たちの思いもそこにあるからだと思います。今も、私たちを励まし、力づけ、希望を与える神様のお言葉を大切に私たちも伝えて行きたいと思います。