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十字架の見えるテラスから(82)

説教要旨(2月5日の礼拝説教から)「今日という日」

詩編95:1~11    ヘブライ人への手紙3:7~15 

 

1)聖書ー神のみことば

 聖書は、「書かれた神の言葉」と呼ばれます。他の書物と一緒に本立に並んでいても、聖書は他とは違う、特別な書物です。ヘブライ人への手紙3:7に「聖霊がこう言われる」とあり、詩編が引用されます。聖書は聖霊による語りかけです。日本キリスト教団の信仰告白に「旧新約聖書は神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によりて神につき、救いにつきて全き知識を我らに与える神の言」とあります。神は聖霊によって聖書を通して、私たちに語りかけておられます。悩んでいる時に、聖書の言葉に慰められること、道を探し求めている時に、みことばに出会うことは、聖書が単なる書物を超えた特別なものである証しです。

 

2)グルグルとさまよう私たち

 聖書は、私たちが歩むべき道を明らかにしてくれます。その道を誤ったイスラエルの民への厳しい言葉が、詩編95編です。この手紙の著者は、それを紹介しながら15節で「心をかたくなにしてはならない」と勧めます。「かたくな」とは「同じ考えが巡るさま」に由来するそうです。自分の中で考えがグルグルと回っていることを振り返ると、誰の助言も聞けず、心が閉ざされていることを思い出します。イスラエルの民は40年荒野をゆき巡りました。まるで、自分の考えにこだわって、前進できない私たちの象徴のようです。

 

3)励まし合うー聴くこと

 今日の鍵は「慰めあう」13節です。これは互いに聴く姿勢です。聖書に共に聴き、そして互いに励まし合うと、私たちの硬い心は、徐々に柔らかくなります。教会に集い、私たちは真に健康になれるのです。