· 

十字架の見えるテラスから(84)

2月12日 主日礼拝 説教要旨「聞き、留まる」

 

民数記14:26~35    ヘブライ人への手紙3:16~4:2 

 

1)聞くことと、留めること

 私たちを礼拝へと導くもの、それは「信仰」です。信仰は、私たちに希望を教えてくれます。今日の箇所4:1で「神の安息にあづかる約束がまだ続いている」と描かれています。これは希望です。約束は、終わってしまったものではありません。まだ約束は有効で、私たちにも、もちろん継続中です。誰もが、神の安息に招かれています。

 鍵となるのは、4:2です。ここでは①み言葉を聞くことと、②聞いた言葉が、自分自身と結びつく、という二つが語られています。「右から左に抜けていく」と言いますが、み言葉が私たちから抜けていくことは、決してありません。聞いた言葉は、私たちが覚えていなくても、体の中に留まっています。み言葉は命であり、生きて、私たちに希望を与え続けています。礼拝に出るほど、み言葉は蓄積!!されていきます。

 人生は厳しく、時に打ちひしがれる出来事を運んできます。けれども、私たちは大丈夫です。み言葉が、私の中で留まって、生き、語りかけてくれるからです。

 

2)自分の価値は、神さまが教えてくれる

 詩編95編の引用に続いて、今朝の箇所は、神の安息にあずかるようにと勧めています。これは民数記の物語を背景にしています。イスラエルの民は、目の前の敵が強大であることと同時に、自分たちがいかに小さな弱い存在であるかに、心を奪われてしまいました(民数13:32)。これはとても大事なことを教えています。私たちは、自分の価値を本当にわかっているでしょうか。自分のことを卑下する必要も、逆に無理して背伸びする必要もありません。パウロは2コリント10:12~で限度を超えて自己を誇らないと語ります。私たちは、自然体で良いのです。神さまのみ言葉が私の中に留まり、生かしてくれるからです。