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十字架の見えるテラスから(86)

219日 説教要旨 「心を高くあげよ」

哀歌3:4057   コロサイの信徒への手紙3:1~4 

 哀歌は、イスラエルが最も苦しかった時代、バビロン捕囚の苦しみを歌った五つの歌からなっています。イスラエルの民は、自分たちがこんなに苦しむのは、神様を信じる道を歩まなかったからだと考えました。だからこそ、今立ち返ろうと語りだします。40節「私たちは自らの道を探し求めて、主に立ち帰ろう。天にいます神に向かって両手をあげ心も高くあげて言おう。私たちは背き逆らいました。あなたはおゆるしになりませんでした。」「心を高くあげる」ということは、天におられる神様を深く思い、地上のもの、罪や背きから解放されることです。

 心を高くあげることができないときがあります。苦しみの時に心を上げることができません。43節「あなたは怒りに包まれて追い迫り、私たちを撃ち殺して容赦なさらない。」54節「水はわたしの頭を超え、もう最期だとわたしは思った。」イスラエルの苦しみが私たちにも伝わってくる言葉です。「もう終わりかもしれない」と思うことが、私たちにもあります。しかし最後だと思っていた時に私たちにできることがあります。55節「深い穴の底から、主よ、わたしは御名を呼びます。」全てが終わったと思う時から神様を信じる者には、あることが始まります。それは「本当に終わりでいいのか」という問いかけです。どん底の中かも神様は、私たちを助け出してくださる。その思いが、信じる者の体のどこからかわきでてくるのです。

 哀歌のほかにも旧約聖書には、嘆きの言葉が多くあります。嘆くことは恥ずかしいことのように思います。しかし嘆くことによって、人間は心を整理し、もう一度立ち上がりたいという思いが与えられます。そして嘆きは、賛美へと変えられていくのです。嘆きが賛美へと変えられるのであれば、私たちは何も恐れる必要がなくなります。

 57節「耳を閉ざさず、この声を聞き、わたしを助け、救い出してください。呼び求めるわたしに近づき、恐れるなと言ってください。」今、私たちも「恐れるな」という言葉を求めているのではないでしょうか。私たちが最も恐れる「死」や「裁きの時」もイエス様がともにいてくださるならば、私たちの恐れはなくなります。イエス様はおっしゃいました。「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。」(ヨハネによる福音書5:24)