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十字架の見えるテラスから(90)

※35日 説教要旨 「信仰にしがみつき」

詩編1391316    ヘブライ人への手紙41016 

 

1)わたしを究める神

 詩編139編は、神さまが私をよく知ってくださっていることを詳細に語ります。2節の「座るのも立つのも」は、日常の振る舞いを指し、3節の「歩くのも伏すのも」は、新しい翻訳(聖書協会共同訳)では「旅するのも休むのも」と訳され、人生の大きな節目を表します。日常の一コマも、人生の大きな転機も、神さまはすべてご存知であり、私を導いておられます。

 ヘブライ人への手紙は「すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されている」と語ります(413)。これは安心であると同時に、恐れでもあります。神さまは、見張っている、その恐れをヨブは感じます。私たちは苦しいことが起こると、後向きになります。神さまが意地悪で厳しい審査を私たちになさり、私たちのことを貶めよう、苦しめようとしているのではないかと、ヨブは疑います(ヨブ記10922)。

 

2)救い主がおられる

 「すべてのものが神の目には、裸であ」るなら、私たちは日々裁きを恐れ、怯えるしかないのでしょうか。14節は「さて」と転換を示します。この言葉は、「だから」と理解すべき言葉です。神さまの目から逃れられず、私たちは罪を日々犯してしまう。「だから」私たちにはイエス・キリストが与えられたのです。キリストは「もろもろの天を通過された偉大な大祭司」(14節)で、幾層にも及ぶ天から真っ直ぐ私たちを目指して降ってくださいました。この方は祭司として、神さまとの間に立ち、私たちの罪をとりなしてくださいます。それゆえ私たちは「信仰を保」(14節)つのです。「保つ」は、しがみつく、捉えるという言葉で、「信仰にしがみつく」と川村輝典先生は訳しておられます。苦しい時こそ、しっかり信仰にしがみついて、希望を掴みたいのです。