※3月12日 説教要旨 「苦しみの実」
詩編119:71~75 ヘブライ人への手紙5:1~10
1)恐れず
キリストは天におられ、私たちのためにとりなしてくださいます。だから、恐れずにキリストに向かって祈り、生きようと、手紙は励まします。私たちは罪を犯します、けれども4:14は「私たちに神の子イエスが与えられている」と語り、目を向けるべきものは、自分の罪でなく、罪を赦された神の子であると明らかにします。ヘブライ人への手紙は、ここから最大のテーマである「大祭司キリスト」を語り始めます。
2)主のお受けになった苦しみ
54年版の讃美歌532番の2節に「主の受けぬ試みも、主の知らぬ悲しみも、現世にあらじかし、いずこにもみ跡見ゆ」とあります。私たちが今経験してる苦しみ、試練について、キリストがお受けにならなかったものは、何一つないのだと歌われています。今、苦しい状況にある方には、ぜひこのことを覚えていただきたいと思います。イザヤ書は「彼が負ったのはわたしたちの痛み」53:4と記します。
3)主の思いやり
ヘブライ人への手紙は、大祭司が弱さを身に帯びているから、迷っているものを「思いやる」5:2ことができるとしています。私たちの救い主は、超人や鉄人、古代の英雄のようなヒーロではなく、弱さを身に帯びています。5:7に「叫び声をあげ、涙を流しながら」という記述がそのことを生き生きと物語っています。それは、私たちが弱いゆえです。キリストは私たちの弱さを、ご自身も引き受けられ、私たちに寄り添い、思いやってくださいます。パウロは弱い自分に「満足」していると語ります(2コリント12:10)。なぜなら、キリストがその「私の弱さ」を知ってくださり、思いやってくださるからです。