※4月2日 説教要旨 「魂にとっての錨」
創世記22:1~18 ヘブライ人への手紙6:13~20
1)先駆者ー主イエス
20節で主イエスは「先駆者」と語られています。先頭を走る者です。私たちを導くため、行き先の安全を確認するために、主は先んじて私たちの前を駆けておられます。私たちは安心して、その背中を見つめつつ、各々の人生を駆けていけば良いのです。
2)メルキゼデクのような祭司
主は先駆けて、「メルキゼデクと同じような大祭司」になられたと20節は続けます。旧約聖書から2つの祭司の系統が示されます。祭司といえば、モーセの兄アロンが祖と言われますが、ヘブライ人への手紙は、あえてアロンでなくメルキゼデクをもって、主イエスを表します。これはアロンよりも古いアブラハムの時代を起源とするものです。
アロンという人は、あまり完璧とは言えない人物でした。モーセ に反抗したり(民数記12章)、民の要求に屈し金の子牛の象を作ってしまったり(出エジプト記32章)と頼りないところもあります。ヘブライ人への手紙は、アロンでなくメルキゼデクをもって主イエスを表し、主が完全な大祭司であられることを示しています。
3)魂の錨
主は、先頭を走ってくださる完全な大祭司である、ということは私たちが大きな安心のなかにあることを示します。この安心を「魂にとって頼りになる、安定した錨」という喩えで描いています。「錨」は、使徒信条言行録27章のパウロの伝道旅行で登場します。錨を降ろして嵐をやりすごす場面です。主イエスが先頭におられるということは、私たちが人生の嵐をやりすごすことのできることを意味します。これは19節にある「希望」の比喩です。人生には希望が必要です。それは主が与えてくださるものです