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十字架の見えるテラスから(100)

4月9日 説教要旨 「すべての民よ、喜べ」

イザヤ書35章1~10節 ヘブライ人への手紙2章14~15節

1「すべての民よ、よろこべ、主イエスは死に勝ちませば、陰府の力はやうせて、ひとのいのちかぎりなし。」

イザヤ書35章1節からで、戦いに負け、敵の国に連れていかれた屈辱的な出来事、捕囚というイスラエルにとって一番苦しい時が終わりが近づいていることを自然の姿によって表しました。本当に闇の様な時を経験したからこそ、春の光は輝きをまし、喜びを感じる時となりました。イースターに私たちもまた光を見ます。それは目に見える光だけでもなく、目には見えないけれども、神様の輝きをイエス様によって見ることができるのです。そしてその喜びは、すべての人に与えられている喜びです。コロナウィルスとの戦いに少し希望が出てきたときに迎えるイースターは大きな喜びです。

2「明日をも知らぬ世に住み。涙の谷、たどる身の悲しみも悩みも消え、今は喜びにあふる。」生きる時、涙があり、悲しみも悩みもあります。明日生きているかさえわかりません。しかし、それは神様を見るものとして生かされるとき、不安や悩みではなく、神様に守られて生かされていることを喜ぶ今があると思うことができます。今は喜ぶ時です。なぜなら、イエス様の十字架と復活によって、私たちは神の国への道が示されたからです。たどり着く場所がわかる時、私たちの地上の歩みはどう歩めば良いのか。どう生きれば良いのかがわかります。神の国には何があるのでしょうか。

3「主は栄光の御座につき、み使いらはほめ歌う。主イエス死に勝ちたまえば、人は生くるとこしえに」地上の生涯を終えて天の国へたどりつくことができたならば、イエス様が御座につておられる場所に共にいることができる。み使いたちの賛美の声を聞くことができる。その様な未来が私たちには示されているのです。神の国とはどのような場所でしょうか。イザヤ書35章10節「主に贖われた人々は帰ってくる。とこしえの喜びを先頭にたてて、喜び歌いつつシオンに帰りつく。喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみとは逃げさる。」神の国に入る時、喜びと楽しみがあり、嘆きと悲しみは消えていく。私たちがたどり着く場所はそのような場所であることを信じて、地上を安心して生きていきましょう。