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十字架の見えるテラスから(107)

先週の日曜日の礼拝後に、近くの講演で日曜学校に来ている子どもたちと野球をして遊びました。保護者の方々もおられたので、子どもチームと大人チームを分かれて試合をしました。結果は子どもチームの勝利でした。大人チームの敗因は、私たち牧師夫婦のバッティングのダメさによるものでした。二人で空振りを繰り返しました。次に同じような試合をする時には、一点でも取れるようにがんばろうと思っていました。しかし「私たちのバッティングひどかったね」と夫に言うと「空振りするから子ども達が自信持つんだよ。」という答えが返ってきました。「あれは、わざとだったか。」と驚きました。本当に手加減したのかはわかりませんが、私は手加減したのでもなく、本気で空振りをしていました。失敗をするのは大人になっても嫌なものです。しかし、夫の言葉に、確かに子ども達は大人が空振りをすると嬉しそうだったことを思い出しました。こんな小さなことでも子ども達の自信になるなら空振りもいいものだと思うことができました。「神を愛する者たち、つまり、ご計画にしたがって召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」ローマの信徒への手紙8章28節