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十字架の見えるテラスから(116)

※6月4日 説教要旨 「今、咲く」 詩編51:18~19 ヘブライ人への手紙10:1~18
空の鳥と、野の花 主イエスはマタイによる福音書のなかで「野の花」についてお語りになり ます「 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこの ように装ってくださる」6:30。野の花は、明日を思い煩いません。「空の 鳥」も同じです「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に 納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」:26。鳥 も明日の心配をせず、神さまの養いのなかで今日を生きます。彼らは、創造 主を知っているのです。自分たちの命を心配することなく、創造主の養いの 中にいることで、安心して生きているのです。 S.キルケゴールは『異教徒の憂い』のなかで、野の花や鳥の方が、よほど 私たちよりも、神さまに委ねることについて、よくわきまえているのではな いかと問うています。キルケゴールは、鳥や野の花が、私たちにとって「教 師」であると言います。私たちは、とかく頭でいろいろと考えすぎてしまい ます。神さまを信頼することについて、私たちは鳥や花から教えられます。 もっと素朴で、まっすぐで、単純な神さまへの信頼というものが、私たちに は必要なのかもしれません。それは創造主への信頼です。

 

赦しがある以上 ヘブライ書は、神殿での犠牲をとりあげて、それらが完全な赦しでなく、 過去の罪を思い出させるにすぎないと語っています10:3。それらは、いわ ば「影」のようなもの、「写し」(コピー)であり、本体ではありません: 1。写しであるから、それは、何度も繰り返し行われます。本当の赦しはキ リストにあり、地上の祭儀はその影です。キリストが来られるまで、人々は 繰り返しこの影を追い求めていました。けれども、それは終わったのです。 本当の赦しが与えられた以上、それは一回限りで十分であったのです。:18 で「罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要では ありません」とあります。 創造主は、私たちのことを愛しておられ、み子イ エス・キリストを与えてくださいました。その愛を信じることは、私たちが 明日を恐れず、今を感謝して生きることのできる保証です。