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十字架の見えるテラスから(124)

※7月16日 説教要旨 「信仰こそ本質」 イザヤ40:1~8 ヘブライ人への手紙11:1~7

 

1)「確信」=これ以上にない確かなもの ヘブライ11:1「信仰とは、望んでいる事柄を確信し」は、信仰に ついて知る上で、大事な言葉です。ここに出てくる「確信」という言 葉は、すでにこの手紙の1:3で出てきました「御子は、神の栄光の反 映であり、神の本質の完全な現れ」。この「本質」という言葉が、11 章では、確信と訳されています。聖書協会共同訳で11:1じは「信仰 とは、望んでいる事柄の実質であって」と訳されています。これらか ら、信仰とは、本質であり、実質であることがわかります。 あらゆるものが移りゆくこの世界にあって、信仰ほど確かなものは ないと、手紙は語るのです。イザヤ書40:8「草は枯れ、花はしぼむ が わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」とあります。この確か さと永遠こそが、信仰というものをよく表しています。信仰とは、確 かであり、また永遠であるのです。

 

2)信仰の証人たち 今朝の箇所では3名の証人が登場します。アベル、エノク、ノアで す。アベルはカインによって殺されました。けれどもヘブライ書はア ベルが「信仰によってまだ語っています」:4と語ります。原典を見 ると現在形で書いてあり、今なお語っているニュアンスが受け取れま す。信仰は、死を超えるもの、永遠のものだからです。私たちの家族 で、すでに地上を去った方々も、この意味では同じです。信仰を持つ ものは、死してもなお、語っているのです。 7節からノアが登場します。ノアは来るべき洪水に備え、神さまの 御命令に従って箱舟を作ります。「自分の家族を救うため」とありま す。このことから、信仰は個人にとどまらないことがわかります。使 徒言行録に「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救 われます」16:31とあります。信仰とは周囲に及ぶ大きなものです。