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十字架の見えるテラスから(126)

7月16日 説教要旨 「主の強い御腕よ」

サムエル記上17:41~47   エフェソの信徒への手紙6:13

 

 ダビデとゴリアトの戦いは、大きな敵を前にした小さな人間の姿を表しています。小さなものが命の危機を感じるような戦いに出る時、主は私たちの助けとなってくださいます。1番「主の強い御腕よ、み力を示し、主の民を励まし、今こそたたかえ。主が共におられ、味方となられる。何を恐れよう。」ダビデは、この戦いを「主の戦い」だと言いました。ゴリアトが主なる神を侮辱したからです。ダビデは杖と石5つ、石投げひもだけを持ってゴリアトの前に立ちます。2番「暗闇の力は、世界にひしめき、み恵みに刃向かい、主の民を攻める。恐れ、おびえるな、われらの弱さを主は知っておられる。」ダビデは、鎧や兜で身を守ることも、剣で武装する必要もありません。自分の力のなさは主が知っておられるので、ダビデは神様を信じて戦いに出ていきます。反対に、鎧と兜で身を固め、大きな武器を持ったゴリアトは、ダビデが美しい少年だったので侮りました。ダビデは戦いに勝利をします。

 この時から、ダビデの人生は戦いの人生となりました。イスラエルの王となるまで戦い続け、王となってからも戦い、さらには自分の息子とも戦うことになります。一方でダビデは竪琴を愛し、詩編にはダビデの詩がいくつもあります。戦いの中でダビデは、神様を賛美することで心の安らぎを得ていたのかもしれません。3番「苦しみと悩みの迫り来る時も、救い主イエスこそ、終わりの勝利者。我らも戦おう、命の冠を受けるそのひまで。」私たちもイエス様を信じて歩むときに、最後は勝利者である方に受け入れていただける安心感を持って生きることができます。4番「ただ主こそわが神、ゆだねよう、その手に。神は与えられる、確かな助けを。信じて従う、主の民よ、全て喜びたたえよう。」私たちは委ねて生きることがゆるされています。主の民として確かな助けを信じて、私たちも共に歩んでいきたいと思います。