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十字架の見えるテラスから(129)

7月23日 説教要旨 「信仰によって」

創世記12:1~9   ヘブライ人への手紙11:8~16 

 

1)「信仰」とは、仰ぎ見ること

 ヘブライ11章は、「信仰によって」という言葉を繰り返し、信仰について明らかにしています。旧約聖書から、アベル、エノク、ノアが紹介され、信仰の父と呼ばれるアブラハムが登場します。

 信仰とは文字通り、仰ぎ見ることです。アブラハムの生涯は、まさに仰ぎ見る生涯でした。仰ぎ見るとは、現在の苦しみを超えたところにある未来に目を向けるということです。ヘブライ11:17からはアブラハムの生涯の最大の危機といえるイサクの奉献の物語が出てきます。この危機にあたり、アブラハムは自身の原点に立ち戻って、この危機に向き合います。その原点は、11:8と:9にあります「信仰によって」です。アブラハムは危機に際し、自分自身の持っている経済的、人的、社会的な基盤から総合的な判断をした訳ではなく、むしろただ一点、信仰的な判断でこれに向き合ったのです。それは、神さまが最後には必ず良い道を示してくださるという確信です。地上にではなく、天に目を向けるべきとアブラハムは知っていたのです。

 

2)信仰の証人たち

 アブラハムは「行き先も知らずに出発した」:8とあります。続いて「他国に宿るようにして約束の地に住み」、「幕屋に住みました」:9とあります。幕屋とは、テントであり仮の住まいです。アブラハムは約束の地でさえ、仮のものとして受け取っていました。なぜなら、彼にとってのゴールは「神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都」:10だからです。堅固な土台は、仮住まいのテントの対です。アブラハムが地上の出来事を、良いことも、悪いことも、すべて冷静に受け止められたのは、それがやがては消えていくものであり、本当のゴールではないと知っていたからです。彼は地上にあって、天を仰ぎ見るのです。信仰に生きる確かさと平安が、ここにあります。