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十字架の見えるテラスから(132)

8月6日 説教要旨 「信仰こそ本質」

イザヤ4:2~4   ルカによる福音書10:17~24 

 

弟子たちと律法の専門家

 25節に「すると、ある律法の専門家が立ち上がり」とあります。「すると」は原文のギリシア語では「見よ」という言葉で、注意を促しています。この前にある弟子たちの物語との対比で語られています。弟子たちと律法の専門家を比べて書いているのです。

 特徴的なのは23節です「それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた」。主イエスはここに居合わせた全ての人々と対比させて、弟子たちにだけ、特別におっしゃっています。この扱いを見て、おそらく律法の専門家は、心穏やかでなかったのでしょう。続く25節で、彼は立ち上がり、主イエスを試します。

 

振り向く

 23節の「振り向く」は、特に重要な場面で出てきます。ルカ福音書22:61「主は振り向いてペトロを見つめられた」です。死んでもあなたに従うと覚悟を語ったペトロですが、実際に自分が捕まりそうになると、主イエスを知らないと言ってしまうペトロの裏切りの場面です。これは人間の弱さ、無力さをよく表す物語です。このペトロの挫折に対し、主イエスはその眼差しを彼に向けます。主イエスのこの愛に満ちた視線は、一生ペトロの支えになったことでしょう。

 

幸いである

 「振り向く」という言葉の後「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ」(:23)と主は語られます。「幸い」の語は、山上の説教にある「幸い」と同じ、祝福の言葉です。この祝福は「知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました」(:21)とあるように、幼子のような無力な者に向けられています。無力な者をあえて選ばれる(1コリント1章 )神の愛が語られているのです。