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十字架の見えるテラスから(135)

8月27日 説教要旨 「いつくしみ深い」

箴言4:10~27   ルカによる福音書10:25~37

 

1番「いつくしみ深い友なるイエスは、うれいも罪をもぬぐい去られる。悩み苦しみをかくさずのべて、重荷のすべてをみ手にゆだねよ。」ヨハネによる福音書15章14節「わたしはあなた方を友と呼ぶ。」とイエス様はおっしゃいました。私たちもイエス様を「友」と呼ぶことがゆるされています。イエス様は、どのような友なのでしょうか。13節「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」と言われたように、私たちのために十字架で命をささげてくださり私たちにこれ以上ない大きな愛を与えてくださった方です。

2番「いつくしみ深い友なるイエスは、われらの弱さを共に負われる。嘆き悲しみをゆだねて祈り、つねに励ましを受けるうれしさ。」イエス様は、私たちが心のうちに持つ苦しみ、悲しみを知っていてくださり、嘆きを聞いていてくださいます。私たちの心のうちを知って、励ましていてくださる友がイエス様です。

3番「いつくしみ深い、友なるイエスは。愛のみ手により、支え、みちびく。世の友われらを捨てさるときも、祈りに応えてなぐさめられる。」私たちは一人でこの世を去って行かなければなりません。孤独は、私たちにとって一番苦しいことです。最後の最後まで私たちと一緒にいてくださる方。神の国へと導いてくださるのが、私たちの友となってくださったイエス様です。友と手を繋いで歩くように、神の国へとイエス様と歩いていくことがゆるされているのです。

 人生の中で、多くの人に出会い、ある人とは友と呼び合える仲間になることができます。しかし、私たち人間同士の交わりには限界があり、時には決裂もあります。永遠に続く仲間はいません。イエス様は、そのような孤独を抱えながら生きる私たちのためにこの世に来てくださり、尊い命をささげ、私たちの永遠の友となってくださいました。この方が友となってくださったことを思う時に、私たちは多くのことから解放され、イエス様と共に歩む喜びを得ることができます。