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十字架の見えるテラスから(141)

9月10日 説教要旨 「花彩る春を」

詩編71:6~8   ルカによる福音書2:25~38

讃美歌385番1節「花彩る春を、この友は生きた。いのち満たす愛を、歌いつつ。悩みつまづくとき、この友の歌が私をつれもどす主の道へ」イエス様が十字架の上で示してくださった私たちへの愛は、真実の愛です。この愛を知らなければ、人間同士の愛しか知らないことになります。イエス様の愛を知って、初めて愛を知り、私たちの命が満たされ賛美する想いが与えられます。「私は常にあなたを賛美します。」と詩編71編にあるように、賛美は私たちの思いが溢れる時です。賛美する姿は、信じる喜びを思い起こさせます。2節「緑燃える夏を、この友は生きた。いのち活かす道を求めつつ。悩みつまづくとき、この友のすがた、私をふりかえる主の道で」教会で輝かせる命があります。それは人と違う道かも知れません。しかし、一人でその道を歩くのではありません。その道は自分の道でありながら、主と共に歩む道です。3節「色づきゆく秋を、この友は生きた。いのち他人のために燃やしつつ。悩みつまづくとき、この友は示す。歩み続けてきた主の道を」神様から自分に与えられた命を活かす道を示された人は、その命が尽きるまで命を燃やして生きます。命をすり減らすのではなく、命満たされて、人の為に自分の時間を使います。他人のために生きても、それが認められるとは限りません。しかし、神様は必ずその方の労苦を報いてくださる方です。

4番「雪かがやく冬を、この友は生きた。いのちあたためつつやすらかに。この日、目を閉じれば、思いうかぶのは、この友を包んだ、主の光」イエス様は、私たちの命をあたため、復活の時まで守っていてくださいます。このことを信じて、愛するものを神様のもとへと見送るとき、私たちには悲しみと同時に平安が与えられます。その平安は、地上を生きる私たちにも与えられます。なぜなら、先に神様のもとへと召された方達を包んでいた主の光が、自分にも見えてくるからです。その光は暖かく、私たちを包みこむ光です。目には見えない、しかしそこにある光を信じて歩みます。