· 

十字架の見えるテラスから(145)

9月24日 説教要旨 「仰ぎ見る信仰」 出エジプト記14:5~14 ヘブライ人への手紙11:23~12:3

どこに、誰に、目を向けるのか 主イエスを見つめようと、ヘブライ人への手紙は勧めます(12: 2)。これは信仰の原点です。ここでは「見つめる」という言葉が使 われています。この言葉は口語訳聖書では「仰ぎ見る」と訳されてい ました。新約聖書では、この箇所とフィリピの信徒への手紙2:23の 二箇所でしか使われない珍しい言葉です。「他のすべてから目を逸ら し、見る」という意味の言葉です。 先週、召天者記念礼拝をささげました。長い地上の生涯を最後まで 走り抜くために、わたしたちは他のすべてのものから目を逸らし、た だ主イエスを見つめて生きることが大切です。救い主を見なさいと、 ヘブライ人への手紙は読者であるわたしたちを励まします。12:3で 「疲れ果ててしまわないように」とあります。気力を失いそうになる 時でも、主イエスがおられます。この方を見つめて、わたしたちは立 ち上がり、また歩き出します。

偉大な神さまと、わたし わたしたちが見つめる主イエスを、ヘブライ人への手紙は「信仰の 創始者また完成者」12:2と呼びます。これは大事なことです。信仰 はイエス・キリストが、わたしたちのなかで始めてくださり、そして 私たちの人生に完成させてくださる偉大な出来事です。 わたしたちは、信仰すら自分のなかに押し留め、わたしの小さな信 仰と、つい言ってしまい勝ちです。しかし手紙は、それは違うと言い ます。信仰とは、小さなわたしに与えられたキリストの力だというの です。マリアは「力ある方がわたしに偉大なことをなさいました」ル カ1:49と神さまを賛美します。マリアは「身分の低い、この主のは しため」と自らを呼び、小さなわたしに与えられた神の偉大な力をほ めたたえます。小さな彼女は、大きな神を仰ぎ見たのです。