· 

十字架の見えるテラスから(147)

10月1日 説教要旨 「力に満ちたる」

詩編104:19~24   マルコによる福音書4:3941

讃美歌357番1節「力に満ちたる主なる神は、風さえ、み旨のままにおさむ。み言葉ひびかせ語るときは、輝く太陽もここに止まる」雨風が強い台風の時、太陽がジリジリと照りつける暑い夏、どちらも私たちにはどうにもできないことのように思います。しかし、聖書は神様がみ言葉によって人と自然を造られ、人が自然を守り導くようにと召してくださいました。私たちは自然の良い管理者となり、愛し、守らなければならない使命が与えられています。2節「坂巻く荒波、岸をうちて、高まりとどろき迫る時も、力に満ちたる主のみ腕はたちまち嵐を沈めたもう。」自然が脅威となって私たちに迫るとき、どこにも助けがないように思ってしまいます。しかし、自然災害や戦争が起こっても、私たちはそれ以上に力ある方に守られていることを信じる恵みが与えられています。3節「嵐はたけりて闇は深く、こずえの鳥の巣打ちたたけど、深きみ心のつくりぬしは、見えざるみ手もて守りたもう。」嵐の中の鳥のように、自然によってもたらされた出来事に私たちは翻弄されて生きていくしかないのでしょうか。この世界は神様が何もないところから一つひとつを造られたと聖書は伝えています。そこには秩序があります。その秩序の中に神様の私たちへの愛があります。私たちは神様が治めておられる世界に生きているのです。4「世界の国々、その支配者、み神のみ旨をおののき聞け。みわざをあがめてうやまいつつ、み前に来たりてみ名をほめよ。」神様から特別に召された人たちがいます。国を治める人たちです。自分の力を称えるのではなく、神様の前に首を垂れて、自分の力のなさと神様の偉大さを知ることが求められています。

 自然によって、私たちは神様がこの世界を造られ、支配されておられることを知ることができます。自然によって、神様の私たちへの愛を知ることができます。力に満ちたる神様を小さな花が綺麗に咲く姿を通しても知ることができます。それは日々、自分の力のなさを感じる私たちの大きな励ましとなるのです。