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十字架の見えるテラスから(149)

10月8日 説教要旨 「時が結ぶ実」 イザヤ書53:1~12 ヘブライ人への手紙12:4~13

 

わたしは神さまの子ども 東京神学大学におられたT.ヘイスティングス教授が監修された『み んなのカテキズム』という書物は、このように記します。問1 あな たは誰ですか? 答 わたしは神さまの子どもです。続く問2で神さ まの子どもであることの意味を「わたしが、わたしを愛してくださる 神さまのものだということです」と記します。この問答から私たち が、キリスト者であることの意味を知ることができます。私たちは神 さまの子どもであり、私たちは愛されている、ということです。子ど もだけでなく、私たちにも通じることです。

み国と苦しみを受け継ぐ ヘブライ書12:7で、読者は「子」と呼ばれています。対照として 続く8節に「庶子」が出てきます。庶子は、いわば私生児のことで、 相続の外にあります。神さまにとって、私たちは実の子であり保護、 相続のなかに置かれています。何を相続するのかといえば、み国で す。永遠の命を受け継いでいるのです。「相続人」という言葉がロー マの信徒への手紙8:14~17に出てきます。17節は「キリストと共 に苦しむなら、共にその栄光をも受ける」といいます。受けるのは、 み国という恵みだけではなく、苦しみも同時に受けつぐといいます。 しかし苦しみは、キリストと共にある苦しみです。独りで苦しみに耐 えるのではなく、苦しみのなかでも、キリストがおられることを知る ことができます。これはキリスト者の慰めであり、喜び、希望です。

栄光を受ける 12:2でキリストが死を耐え忍び、栄光を受けられたさまが記され ます。私たちが苦しむわけを、12:10は「神性にあずからせる目的 で」と記します。苦しみは、無目的に与えられるのではないと分かり ます。キリストと共に苦しみ、私たちは神の栄光にあづかります。