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十字架の見えるテラスから(151)

10月15日 説教要旨 「キリストの血が語る」 出エジプト記19:10~19 ヘブライ人への手紙12:14~24

シナイ山と山上の説教 S.キルケゴールは『異教徒の憂い』で、モーセに十戒が与えられ たシナイ山の様子と、主イエスが山上の説教を語られた際の様子を比 べています。神がモーセと出会われた(神が顕現された)シナイ山 は、雷鳴がとどろき、近付き難い神聖な場所でした。神は容易に近づ くことをお許しになりませんでした。神は遠い方であられたのです。 けれども、主イエスが山上の説教を語られた時は、対照的です。神 は、近付き難い方としてではなく、恐れとは無縁な幼子としてお生ま れになられました。多くの人を招く愛の方、寛大な方として、神はご 自身を、イエス・キリストによって私たちに顕されたのです。

近づいた ヘブライ人への手紙は、20~21節でシナイ山の様子を語ります。そ れは神に選ばれたモーセ ですら、「おびえ、震えている」21節ほど でした。けれども、続く22節で手紙は転機を語ります「しかし、あな たがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレ ム..」。ここで「近づいた」は、完了形になっており、英訳でもhave comeです。神に近づこうという目標ではなく、既に近づくことがで きた、という感謝を語るのです。

み子を信じる キルケゴールは「福音は、いとも寛大です。地に降ってきた天のも のはすぐ近くに存在しています」と書いています。神さまの方から私 たちに天を近づけてくださった、天が降ってきたのです。 これはキリストの宣教の第一声「天の国は近づいた」(マタイ4: 17)に通じます。私たちは、遠くの神さまを信じ近くのではありませ ん。私たちに近づいてくださったみ子、主イエスを信じるのです。