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十字架の見えるテラスから(167)

※12月10日 説教要旨 「未来を見通す力」 エレミヤ書32:26~27 ルカによる福音書 1:26~38

馬小屋の再現 先日NHKのニュースで、毎年クリスマスに馬小屋の場面を再現する プレセビオと呼ばれる人形について報じられていました。通常、ワラ や木材を使って、主イエスのご降誕の様子を再現しますが、その馬小 屋は、ガザでの犠牲者を深く悼む思いから、幼子主イエスの周りに は、飼葉おけのワラではなく、瓦礫が使われていました。破壊された 建物の残骸とおぼしきコンクリートの破片に囲まれている幼子を見 て、正直、不愉快に感じました。政治的な主張をクリスマスにかこつ けてしているように感じたからです。 しかし、よくよく振り返ると、このような悲惨な世界にお生まれく ださったイエス・キリストを表すにふさわしいと思いました。イエ ス・キリストは、世界の悲惨と無縁の存在ではなく、まさにこの世界 の苦しみの只中にお生まれくださり、十字架を負われのです。その恵 みは、戦争という悲惨のなか、より深くあると思いました。

希望の一歩 エレミヤ書32:6~は、エレミヤが親族の畑を買い取る様子が書か れます。戦争で荒廃するイスラエルの地で、復興を信じ畑を買うので す。エレミヤはこれまで、再三に滅亡の預言を語ってきました。神に 背いたこの国は滅びると語ってきたのです。それがここにきて180度 反転し、回復のメッセージを語りはじめます。イスラエルの人々が、 強大なバビロンに脅かされる絶望のなかで、エレミヤは未来を語り始 めます。畑を耕し、町が復興するという希望を告げます。 これが今、わたしたちに求められるメッセージではないでしょう か。世界が分断と争いで満ちている、希望の見えないなかにあって、 教会はこの世界が見捨てられてはいないと語ります。この世界に神さ まの愛が注がれていること、それがクリスマスのメッセージです。