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十字架の見えるテラスから(181)

1月28日 説教要旨 「命の始めから」 エレミヤ書1:4~8 ガラテヤの信徒への手紙1:11~24

描きたいこと ヨハネ福音書9章は、生まれつき目の見えない方と主イエスとが出 会い、奇跡によって彼の目が開かれる物語です。けれども、奇跡を描 く部分は物語の全体の1/6で、残りの5/6は主イエスに出会うこと の意味、信じるということの意味を、ファリサイ派の人々を巻き込ん で明らかにしています。 物語の頂点は9:35~39です。「主よ信じます」といって、彼はキ リストの前にひざまずきます。単に目が見えるようになったことに留 まりません、その先にある「信じる」というところに彼は立つことが できたのです。その喜びを、ヨハネは最も伝えたいのです。

恵みによって救われる 今日の箇所でパウロは、自分が救われるまでの詳細を描きます。16 節以降の部分は、他の新約聖書にはないパウロの正直な告白です。繰 り返しパウロは、自分がキリスト者を迫害していたと語ります(13、 23節)。これは不名誉な出来事で、今風に言えば「黒歴史」です。パ ウロはそのような自分の負い目を、隠すことなく繰り返して語りま す。そのような自分に、キリストの方から出会ってくださった、その 恵みを心から感謝しているからです。 神からの語りかけは「啓示」です(12節)。啓示の対照にあるの は、人間の教えです。福音を言い換えると啓示です。人間の知識が増 えて神に到達したのではありません。むしろ迫害者であったパウロに 神の方から近づいてくださった。これは神さまの恵みであり、人間の 側に根拠がないのです。 15節でパウロは「母の胎にあるとき」と語ります。これは人間の努 力や知識以前の状態です。そのような人間の思いを超えたところに救 いがあります。それを聖書は「恵み」と呼びます。