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十字架の見えるテラスから(183)

※2月4日 説教要旨 「まっすぐに見る」

申命記10:12~22 ガラテヤの信徒への手紙2:1~6 

 

外見ではなく

 「神は人を分け隔てなさいません」6節とあります。ギリシア語本文には「取る」という言葉と、「顔」という言葉が使われており、直訳すると「神は人の顔を取らない」となります。顔で取るとは、外面で判断することです。世間では、第一印象が全てであるとか、見た目が大切というような書籍が散見されます。聖書はそのような考えに真っ向から反対します。それらは、私たちの信じる神さまのお考えとはほど遠いのです。「顔」という言葉は、うわべ、外見という意味です。神さまは人を目立つ外見や、取り繕ったうわべでは判断されません。

 

弱さを知る神 

 「顔」とは、その人を特定するのにもっともわかりやすい部分でしょう。私たちは顔で、判別をします。けれども神さまは、人間のように分かりやすいものでは判断されません。他をご覧になります。申命記10章では、人を偏り見ずに続いて寡婦や孤児、寄留者を守るように命じられています。なぜならイスラエルもエジプトで寄留者であったからです。それは端的に言えば、弱さといえます。

 神さまは、彼らがエジプトで苦しんでいたさまをご覧になり、イスラエルを選び、救いました。神さまが心を動かされるのは、見栄えのする外見や取り繕ったうわべではなく、その人の内面、弱さです。

 パウロは2コリント12章で自分の弱さを誇ると語ります。弱さは教会ではマイナスではありません。弱さに神さまが働かれる恵みがあります。弱さは、神さまへの感謝と他者への配慮を生みます。同じような境遇であったからこそ、寄留者を配慮するよう聖書は命じます。

 この度の震災で、かつて震災を敬虔した神戸の方々や東北地方の方々が支援の声を上げておられます。悲しみが共感を生み、支援の輪を広げています。これも弱さが決してマイナスではない証しです。