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十字架の見えるテラスから(187)

2月18日 礼拝説教「飼い主わが主よ」エゼキエル書34章11~16 ルカによる福音書10章7~18節

私たちはなぜ讃美をするのでしょうか。それは神様を誉め称えるためだけではなく、神様に訴え、願うためでもあります。「飼い主わが主よ」という讃美歌は、神様に訴え、求めている歌詞であることに気が付かされます。1番「飼い主わが主よ、まよう我らを若草の野べにともないたまえ。我らを守りて、養いたまえ。我らは主のもの、主の群れなれば。」「~たまえ」という言葉がよく出てきます。神様に訴え、お願いしなければ、羊である私たちの周りには危険が多くあり、私たちのうちには常に恐れがあります。羊飼いがいなければ、私たちは生きていくことができません。2番「良き友となりて常にみちびき、まよわば尋ねてつれ帰りませ。我らの祈りを受け入れたまえ。我らは主のもの、ただ主に頼る。」イエス様は、私たちを力で従わせるかたではありません。私たちを友と呼び、思っておられることを全て言葉として私たちに与えてくださる方です。私たちは、この方に祈り、頼ることが許されています。3番「赦しのみちかい、救いのめぐみ、きよむる力はただ主にぞある。我らをあがない、生命をたまう。我らは主のもの、主に在りて生く。」私たちの罪は、自分では清くすることはできません。イエス様は、私たちのために十字架におかかりになり、命をささげてくださいました。私たちの命は、イエス様の血によって清められました。だからこそ、私たちは主のものなのです。4番「主よ、いつくしみを、我らに満たし、今よりみむねをなさしめたまえ。我らをあわれむ、み恵みふかし、我らは主のもの、ただ主を愛す。」主の愛と慈しみによって与えられた私たちの命は、主のために用いる命です。主のみ心に適う者として生きていきたいと願います。私たちは主の羊の群れです。イエス様という羊飼いを得て、イエス様の語られたお言葉によって道を進んでいく群れです。イエス様は、この群れを父なる神のもとへと導いてくださいます。イエス様こそ私の羊飼いと告白する私たちは、飼い主を持ち、安心して生きる恵みが与えられているのです。