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十字架の見えるテラスから(191)

詩編34:1~9 ガラテヤ信徒への手紙3:1~9 「目の前にある救い」

「味わう」こと 詩編34:9は、日本基督教団の口語式文の聖餐式で「主の恵み深き ことを味わい知れ」との招詞で使われていました。「味わう」という 言葉は、聖書では少量を食べるときに使われます。量としては、ごく わずかであっても、充分な恵みがそこにあることを意味するのです。 聖餐式で頂くパンとぶどう酒は、お腹を満たす量はありません。け れども人生の最後に聖餐に与って召されたいと希望される方は、多く おられます。実際に食べることはできず、唇に触れるだけでも、聖餐 に与ることができます。

キリストの確かさ ガラテヤ書3:4で、パウロは「体験」という言葉を使いますが、も とのギリシア語では「苦しみ」という言葉で、キリストのご受難を表 わします。私たちが人生で経験する出来事のなかで、特に苦しい時 に、そこにご受難のキリストが居られるというのです。このキリスト の確かな支えを、3:1では「イエス・キリストが示された」と語りま す。パウロは、キリストの恵みの確かさを明らかにし、そこから決し て離れてはいけないと、ガラテヤの人々を諭します。

固く立つこと 3:1と:3でパウロは2度「物分かりが悪い」と語ります。この強 い批判のなかに、パウロのキリストの恵みに固く立つ意思が伺えま す。パウロは、ペトロがエルサレムから来たユダヤ人キリスト者を前 にこれまでの態度を一変させたことを「恐れてしり込みし」と非難し ます(12節)。ペトロの周囲への気遣いも大切です。けれども、もっ と大切なことは、神の恵みに固く立つことです。パウロはその恵みを ガラテヤの人々に伝えたいのです。