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十字架の見えるテラスから(195)

申命記26:16~19 ガラテヤ信徒への手紙3:10~14 「祝福の広がり」

希望のありか 今日の箇所の解説で、NTD注解は「自力で何かを獲得することを断 念し、そのすべての希望を神に託し、神から一切を期待する者は、祝 福のもとにある」と記しています。希望は、神さまのもとにあるとい うのです。 希望について、1ペトロ1:21に「あなたがたの信仰と希望とは神 にかかっている」と語られます。ここでも希望の根拠は、神にあると 明示されます。ローマ書に「希望の源である神」(15:13)との言 葉があります。わたしたち信仰を持つ者は、知るのです。私たち自身 のなかに希望を持つことができない時があります。けれども、希望が 神さまから与えられると。聖書の語る希望は、人間が造りだすものを 超えています。神が全能の神だからです。無から創造をなさる神さま は、希望なきところに、希望を生み出してくださいます。

祝福 希望は、祝福とつながっています。祝福の反対は、呪いです。パウ ロは今朝の箇所3:10で「律法の実行に頼る者はだれでも呪われてい る」と言います。律法を行うことで、神さまなしでも、自分を誇りは じめる、それは祝福どころか、呪いであるといいます。それでは、主 の十字架は意味を失ってしまいます。結局は自分の努力次第となりま す。それを「恵み」とは呼びません。 パウロは3:1で「目の前に、イエス・キリストが十字架につけられ た姿ではっきり示されたではないか」とガラテヤの人々に迫ります。 イエス・キリストが、私たちの罪のために、犠牲となり、命を落とし てくださった、その愛と恵みを受け止めるときに、希望なきところで も希望を見つけ出すことができる、新しい生活が始まります。新しい 年度を迎えます。神さまからの希望を信じて、歩みたいと思います。