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十字架の見えるテラスから(199)

出エジプト記12:37~42 ガラテヤ信徒への手紙3:15~20

「ひとりで立つ神」

 

希望のありか

 今日の箇所の結びで「約束の場合、神はひとりで事を運ばれたのです」(20節)とあります。神が、わたしたちの救いを「約束」してくださり、それを「ひとり」でなさったというのです。神は、ご自分のみ心を行うのに、誰の助けも必要なく、どんな妨害も気になさらないことがわかります。神さまの約束は「祝福」という形で示されました。ガラテヤ3:14では「アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶ」とあります。アブラハムに与えられた約束は、創世記までさかのぼります。この世界の開始です。世界が始まる時から、すでに神さまは、わたしたちに祝福を約束なさいました。わたしたちの生きる世界は、困難や悲しみがあります。けれども、その開始から祝福が約束されていることを忘れないでいたいと思います。

 

平安あれ

 本日は、イースター礼拝をささげています。十字架で悲惨な死を遂げれた主イエスが、マタイ28:9で「おはよう」と声をかけ、婦人たちに、そして弟子たちに現れました。「おはよう」は、原文ではシャーロームという言葉で、「平安あれ」とも訳されます。愛する者を墓地へと送るのが、わたしたちです。けれども墓所から主イエスは、平安を告げられ、復活を宣言されます。わたしたちの人生の途中で、復活の主がそこに立っておられることを、あらためて感謝します。

 

寝ずの番

 出エジプト記12:42で、神が寝ずの番をされたと記します。神はお一人で、イスラエルのために世を明かしてこれを守られました。わたしたちは、この神の寝ずの愛に生かされています