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十字架に見えるテラスから(205)

創世記2:18 ガラテヤ信徒への手紙4:8~20 「この友の姿」

「途方に暮れる」 パウロは「あなたがたのことで途方に暮れている」(:20)と言い ます。「途方に・・」の語は、道を失うと言う意味です。解決の見え ない困惑した様子を意味します。パウロは優れた知識を持つ人物でし た。けれども、ここでは解決策が見出せないままでいます。人生には 知識ではどうすることもできないことが起こります。その一つをパウ ロはここで語っています。心からその人と向き合う時に、知識だけで は足りないのです。それ以上のものが必要になってきます。

パウロと教会 パウロの心は、19節に現れます。パウロはガラテヤの教会に「わた しの子供」と呼びかけています。このような言い方をするのは、ガラ テヤ書のこの箇所だけなのです。ですから、パウロが特別な存在とし てガラテヤの教会の人々をみていることがわかります。 パウロと教会の特別な関係は、12~14節で詳細に描かれます。ガ ラテヤの教会はパウロが弱さを覚えていた時、「さげすんだり、忌み 嫌ったりせず」(14節)、親身になってくれました。 この経験は、パウロにとって忘れられないものでした。教会は、パ ウロの教え「だけ」を喜んだのではありませんでした。パウロの弱さ を受け入れ、パウロという人の「全て」、強さも弱さも含めた全てを を、受け入れたのです。 自分を受容し、支えてくれる教会、それは信仰の本質です。パウロ は信仰が、知識という頭の部分だけでなく、信仰生活を送るひとりひ とりの全身全霊の関わりであることを教えてくれます。信仰生活は、 単なる知識ではありません。全身全霊で信仰生活を送り、最後まで信 仰を守っていくのです。パウロと教会との関わりの中で、わたしたち は改めて、信仰の素晴らしさ、尊さを知ることができます