日本基督教会信仰の告白


〔一八九〇年(明治二十三年)制定〕 

 

 我らが神と崇むる主イエス・キリストは神の独子(ひとりご)にして人類のため、その罪の救ひのために人となりて苦(くるしみ)を受け我等が罪のために完全(まった)き犠牲(いけにえ)をさゝげ給へり。凡そ信仰に由りて之と一体となれるものは赦されて義とせらる。キリストに於ける信仰は愛に由り作用(はたら)きて人の心を潔む。また父と子と共に崇められ、礼拝せらるる聖霊は我等が魂にイエス・キリストを顕示す。その恩(めぐみ)によるに非ざれば罪に死したる人、神の国に入ることを得ず。古の預言者使徒及び聖人は、聖霊に啓迪(けいてき)せられたり。新旧両約の聖書のうちに語り給ふ聖霊は宗教上のことにつき誤謬(あやまり)なき最上の審判者なり。往時(いにしえ)の教会は聖書に拠りて左の告白文を作れり。我等もまた聖徒が曾て伝へられたる信仰の道を奉じ、讃美と感謝とを以てその告白に同意を表す。

 我は天地の造成者(つくりぬし)、全能の父なる神を信ず。我はその独子我等の主イエス・キリストを信ず。即ち聖霊によりて胎(みごも)られ処女マリアより生れ、ポンテオ・ピラトの下に苦を受け、十字架につけられ、死して葬られ(陰府(よみ)に下り)、第三日目(みっかめ)に死者のうちより復活(よみがえ)り、天に昇りて全能の父なる神の右に座し給へり。彼処(かしこ)より来りて生けるものと死ねる者とを審判(さばき)たまはん。

 我は聖霊を信ず、聖なる公同教会即ち生徒の交通(まじわり)、罪の赦(ゆるし)、身体の復活(よみがえり)、永遠(とこしえ)の生命を信ず。アーメン

〔一九三四年(昭和九年)版の日本基督教会式文に掲載された原文に依拠する〕